無関心

好きだの嫌いだの

嫌われないようにするか、好かれようとするか。
文系脳には理解できませんでしたというオチ。では目も当てられないのでちょっと考えてみるか。そもそも「好き」と「嫌い」って何か。いや、広辞苑は引かなくていい。そういう意味じゃない。状況や使われ方によって意味は色々あると思うけれど、ネットの場合、これはコミュニケーションって方向から見なくちゃいけない*1。「好き」というのは「長文コメントとかトラバとかがんがんつけて話しまくりたい!」という状態で、「嫌い」というのは「まぁ、話をしておきたい」という状態。よく言われることだけど、好きも嫌いも同じ側で、反対は無関心ってことだな。嫌いって言う人だって実は話がしたいと思っているので、こっちにも話す用意があるって意思を見せれば以外に冷静に話ができる。結果的に特に得る物がなくても、全くお互いに無関心であるよりずっといい。嘆くべきなのは相手や自分に話す意思がないことで、好きとか嫌いなんてはの瑣末な問題。
はい。すでにまなめさんとこの話とは関係ないからね。

でも、やっぱり私は誰かに好かれたいんですよ。ウェブで情報発信していてうれしいことと言ったら、読者の反応が一番なんです。だから、少しくらい叩かれるリスクを負っても、好きって言ってくれる人が多い方を、分散の大きい方を選択したいのです。

http://maname.txt-nifty.com/blog/2007/11/post_63d3.html

「好かれたい」って思うのも「嫌われたい」って思うのも(そんな奴いるのか?)、おかしなことじゃない。問題になるとすれば、好かれたり嫌われたりした後、折角繋がったどこかの誰かさんとのパイプを潰すことだろう*2。好かれているのが当たり前になれば億劫になって無視することがあるかもしれないし、嫌いとか言われれば感情的になって相手を排除してしまうかもしれない。立場が違っていても、聞く耳も話す口も持ってない。それはいかんだろう。忙しくて相手の話に付き合えないっていうなら、最初から好かれようとか思うべきじゃない*3。1回で相互理解が生まれるほど人間は簡単ではないので、何回かやりとりをすることが絶対に必要になる。コメントにせよエントリーにせよ、その人が言いたいことはそこに書いてあることが全てじゃないでしょ。ラブレターだろうが挑戦状だろうが、「ああ、こいつ俺と話をする気なんだな」と思わないと。書かれてないことをきちんと聞き出そうとしたりしてる人を見るといつも感心させられる。もちろん話を仕掛けている方も同じで、「好きです」とか「氏ね」一言で終了するくらいなら無関心でいて欲しい*4。逆にひたすら主張して、聞く余裕がないのも無関心と同じ。ともかく、好きも嫌いも構わんよと。大勢の人が自分とコミュニケーションを取ろうとしているなんて、考えただけでも楽しいじゃございませんか。


ちょっと極論にも思えるけど、1人の人ときちんと向き合えない奴がどんなに凄いもの作ってたり、凄いこと書いてたり、凄い考えを持っていてもちっとも価値がないと思うんだよね。もしかしたらその凄さはみんなの理解による凄さじゃなくて、押し付けた凄さかもしれんでしょ。1対圧倒的多数のネットの世界大いに結構。でもね、1対1の付き合いもできない人間が多数を相手にできると思う? ネットって意外とこの「向き合う」という部分が希薄な方が良いと思われがちな気がしている。あれやこれやと話すほうが楽しいと思うんだけどね。

*1:運営者と閲覧者の関係であれ、信者とアンチの関係であれ、それぞれ存在してるだけじゃネットでは何も起きんからね

*2:自分が一切に無関心なら別ね。パスを貰う気も通す気もないわけだから

*3:まぁ時には「どいつもこいつもガンダムガンダムうるせぇよ」とか叫びたくなるだろう。とは言え、最低限話に付き合う努力をしなきゃいけない

*4:対応する側もこういう人は無視してしまうしかない