僕は「普通」が見てみたい

普通ってなんだろうね

とかくネットの面白い話とか議論は浮世離れし過ぎだ。尖りすぎとでも言うべきか。実際にはすごい身近な問題だったとしてもなぜか現実感のない雰囲気が漂う。小難しい解釈と理屈。時に屁理屈。「こうすれば〜できる(任意の数字)の方法(もしくはリスト)」。働き方やら生き方やら。ブログが面白いやら面白くないやら。好きとか嫌いとか、作画が糞だのなんだの。引用でも俺は奴とは違う解釈がある。俺はお前じゃない。でも賛同も欲しい。超自己同一性のぶつけ合い。大炎上。僕もその中の1人だけど、正直よく分かりません。というか、今ウダウダ挙げたようなモノの中に引っかかったり怒りを覚えたりふーむとか思うなら、間違いなくあなたもその中の1人。思わなくてもその中にいるのかもしれん。どっちだ。
ともかく普通じゃない。超マイノリティ。街行く人を適当に捕まえて、なんかネットでネタになってること話したら、きっとポルトガル語かなんかで話していると思われるだろう。リテラシーの有無? 違う。リテラシーのあるのが普通になっていない現状、有無を問うのは意味がない。結果的に教育が徹底して普通になったらそのときはそのとき。そういう次元。大介。大介は関係ない。ネットは面白いし、それなりの人が面白いと思っているのだろうけど、でも「普通」な世の中からみれば面白い面白くない以前にさっぱり意味不明なんだ。「いいや、日本国民全てがネットを理解してる」とか本気で思ってるならあなたが住んでるのは日本じゃない。じゃ、普通ってなんだ? どこに売っていますか? ネットを見ているときとテレビやら生活の中でやらで世の中を見ているとき、比較してみると自分が首を突っ込んでいるものが普通ではないというのは感じるけど、肝心の「普通」が分からない。分かるけど、でも分からない。常識なんて言われてるものでも実のところ「自分の中で普通」になってることで、絶対的な最大公約数じゃない。
書いてる場所が場所なのでとりあえずネットを引き合いに出してるけど、なんにでもあてはまる話。いかにもオタ臭い目に優しくない装丁やデザインの本は大抵売れないので、「普通」ではないかと思われるデザイン*1にしてみるが、「読者に媚びている気がする」とかよく分からない理由で売れなかったり。内容も基本的に分かりやすくないと読者が自分向きじゃないと思うけど、分かり易すぎるとこんな馬鹿な本は読めないよ、ってお前何が読みたいんだ。ともかく「普通」という捉えどころのない幻想を追い求めているわけ。
「普通」が見てみたい。文字なら読んでみたい。人なら会ってみたい。存在しないなら存在しないでいい。普通であることの全てがいいとは思わないし、むしろ普通でないものが好きだけど、その「普通」を分からないのにどうして自分のやってることや感じたことが「普通ではない」と分かるのだろう。


そしてこんなことをウダウダ言ってる僕は確実に、普通じゃない。



「普通」でありたくない

ここまで「普通」にこだわるのは、僕は普通でありたくないから。反対側が分からんと、方向も見えんと思うのよ。何も知らないで全否定しているのは、普通じゃないわけではなくて、単に無知なだけ。道化もいいとこだ。
最大公約数より最小公倍数がいい。きっちり物事を掴めた上で、普通じゃないことがしたい。100万人が持つような本が10年に一度しか出ないより、1000人が大絶賛して(あるいは大激怒して)一生覚えているような本が毎月きっちり出る方がすごいことだと思ってるし。もちろん、山葵が旨いのはメインの刺身やらなにやらがあるからで、山葵だけ食ってても旨いわけがない。100万人が持つような本を否定するつもりは毛頭ないし、むしろいないと困る。でも100万人を得るために切り捨ててる1000人も結構いるわけで。仮に切り捨てられた1000人が普通じゃない人たちとするなら、僕は君らに受ける本を作りたい。いや。あなた方と呼ぼう。
バカ売れだってニッチ売れだって「売れてる」ことに変わりはない。僕のこだわる「売れる」ということは、別に億単位の話じゃない。お金がなきゃできないこともあるけど、ないならないなりに攻めていく方法はあるはず。お金がかかってても薄い内容だってあるしね。お金があるところにいる人は、そこでできる方法で出版のあり方を考えてくれればいい。僕は単にそういう考え方に興味がなくて、なおかつ普通じゃないものが作りたいので底辺をウロチョロしとく。そこじゃないとできないことだからなぁ。やりたいことができるんだから、やりたくないことも必要である以上きっちりやります。

(注:イメージです。実際にはそこそこ貰っています。ボーナスもありました)
と、言うわけでオオタ。来週までに20個くらい企画と構成考えような。

*1:ゆるやかというかゆとりがあるというかそういう感じ