祖父の話

ハイクなんかでは結構話しているんですが、終戦記念日前なので、僕の大好きな母方の祖父ちゃんの話。
母方の祖父ちゃんは予科練甲飛出身の零戦乗り。別に軍人の家系でもなく、飛行機に憧れていた訳でもなく、入隊理由は食べていくため。祖父が2歳の頃に実母が亡くなり、父親がすぐに再婚して継母が来たようなのだが、腹違いの弟が生まれてからかなり邪険に扱われるようになったらしく、このまま家にいても居辛いだけだしさっさと出て独り立ちしようと予科練に入ったとか。
無事卒業した祖父は、晴れて零戦乗りになったのだが、生涯戦果は2機。被撃墜数も2。差し引き0。とはいえ、二度撃墜されて二度生還したことは祖父にとって相当な自信になったらしく、今でも色々と無茶なことをする人ではある。祖父も高齢なので、今のうちに話を聞いて残しておこうと思い、色々と祖父に尋ねては面白いエピソードなどを残しているのですが、今回はその中から3つほど。

台湾沖航空戦

祖父の二度の撃墜のうち、確実に死んだと本人が覚悟したのが台湾沖航空戦。文字通り台湾沖で撃墜されて脱出した祖父は海のど真ん中に着水。日本側は航空機のみで攻撃を敢行したので、拾ってくれる味方艦艇もおらず、ひたすら漂うのみ。
「あー、これは死んだな」
と思って浮いていると、向こうから小さな船が来るのが見え、声をかけるとなんとこれが台湾から出漁していた日本の漁船! ありがとう漁師さん!! こうして助かった祖父は無事本土の土を踏んだ訳ですが、戻ってみると一緒に出撃をした戦友たちは8割が未帰還。「大戦果」の筈の負け戦の事実を知る祖父は、しばらく拘禁されてしまったそうだ。
拘禁解除後祖父は神雷部隊の直援となり、またやりきれない思いをすることになったようだが、これはまた別のお話。

下戸

今の祖父は酒豪というかザルなのだが、そんな祖父も海軍時代は下戸だったらしく、飯の時に一緒にもらえる麦酒が飲めずに困ったらしい。かといって捨てるのも勿体ないし、ということで、自分の飲まなかった酒を乗機の整備兵たちに全部上げていたそうだ。
戦友にあげてもいいのだが、地上で世話になっているのは整備兵だし、と思ってあげていたそうで、貰う方も喜んで、非常に仲良くやっていたそうだ。が、これが思わぬ結果を生む。
飛行機というのは当然機械であり、PCがクラッシュしたりブルースクリーンになるように調子が悪いとき、というのがある。とはいえ、動かしてみないと調子が悪いかどうかは分からないし、いざ離陸してみるとどうもおかしい、ということも起きる。そんな時は「我帰投ス」で基地に戻り、再度整備して次の出撃まで待機となるのだが、祖父から酒を貰っていた整備兵たちは、
「飛曹の機体だけは絶対に不調になんぞさせん! 安心して行ってきてくれ!!」
と、出撃前は必ず徹夜で整備をしてくれていた。その甲斐あって祖父は最後まで機体トラブルに遭ったことがなかったそうだが、エンジントラブルなどで出撃後に基地に戻って行く戦友を見ては、「あー、俺も戻りたいんだけどなー」とぼやいていたとか。まぁ、洋上でエンジンが止まって落下、なんてことになることもなかった訳で、整備兵にしてみても悪意があったわけではなく、むしろ善意なので祖父も何も言えず、毎晩麦酒を振る舞っていたとか。

終戦

今回のメインの話。
祖父は終戦を神雷部隊で迎えたのだが、ラジオで聞かされても終戦自体にさしたる感慨は湧かず、むしろ死んでいった戦友のことを考えると「自分だけ生き残って申し訳ない」という思いだけが強くあったそうだ。
夜になると、部隊の若い将校や上官たちが集まり、終戦だからとぬけぬけと生き残るわけにはいかないし、国民の皆さんに遭わせる顔もない、と自決を始めた。祖父もその時は死のうと思ったらしい。
自決の様式美なのか、拳銃を使わず、みんな軍刀などで割腹を図ったそうなのだが、そもそも軍刀自体が切れ味のいいものでもなく、切ったはいいがなかなか致命傷にならず、苦しみながら死んでいく。そんな姿を見ていると、祖父は一気に自決しようという考えがなくなり、結局今に至る。
いわゆる臆病風に吹かれたわけですが、別にそんな祖父が恥ずかしいとも思わないし、むしろそこまで戦って生き残ってくれた祖父を僕は誇りに思う訳です。