電子音楽などなど自分語り

友人の手伝いでMIXアルバムに参加させていただくことになり、7月リリースが決まってホッとした次第です。当然直接お礼はお伝えしましたが、ここでも改めて、本当にありがとうございます。
MPCにしてもEmpathにしてもXONE:62にしても、何だか身の程をすぎた機材だなぁと痛感する日々だったのですが、それでもこいつらをフル活用できた気がして、とてもとてもとてもとても楽しかったのです。


そもそも電子音楽、と呼ばれるような音に首を突っ込んだのは大学生になってからだったんですが*1、未だにジャンルはよく分からなくて、ナニがテクノでアンビエントエレクトロニカなんだか分からんまま全部ひっくるめて「電子音楽」と呼んでます。
どのあたりで引っかかったのかはよく覚えていないんですが、「極限まで非人間的な音なのに、それが生音のサンプリングでできていたらなんて面白いんだろう」と思って、色々聞いてみたのがきっかけだったのは確かです。
当時はちょうどポスト〜みたいな言い方がロック方面では流行っていたんですが、段々ジャンルが細かくなっていくのを見てると訳が分かんなくなってきて、「あーなんかもう探すのめんどいな」とか思っておりました。でも何と言うか、探して紐づいてるものをずるずる引っ張るのが音聴く醍醐味だよなぁ、という妙に原理主義者的なところがあって、なんだか探すきっかけが欲しかった訳です。
その時にちょうど上みたいなことを考えてたんですが、咄嗟に「あ、でもそれって昔は機材の性能上、できなかったことだよなぁ」と気がついて、「それじゃあ、昔から同じスタイルのギター、ベース、ドラムの構成じゃ探してるもんはないよなぁ」と考えて、そいでルール無用の電子音楽に興味を持った訳です。タンテとコンソール、ソフトシンセ類買ってみたのもその頃。
そしたら何だか電子音楽って面白い人たちがわさわさ出てきて、面白いことを平然とやってのけて、うわ、眩しい所だ! って感動した訳です。いわゆる実験音楽って世界もちょっと覗いたのですが、さすがに厳しかったので早々に撤退。


未だに眩しいまんまのClark。同い年とは思えないよなぁ

今じゃギター弾くより色々と音をサンプリングしている時間の方が長い気がします。いずれMixブログで書いてるような機材の話でも。


とか何とか電子音楽の話しましたが、電子音楽→生演奏って落とし込みも、またいいものだなぁ、と最近思ってます。
「極限まで非人間的な音なのに、それが生音のサンプリングでできていたらなんて面白いんだろう」
って所に、何と言うか、
「もう一度血と肉を与えてみる」感覚なんでしょうか。


"Ted"EPのアナログMIXでも聴きながら。
Ted / Clark(bibio mix)

*1:野田努の影響だったのは秘密

鬼おっぱい大バレー戦略

ごきげんいかがですか? 水野晴郎です。
さあ、今日も素晴らしい映画をたっぷりと楽しんで頂こうと思います。
皆さんお待ちかねの『憲兵とバラバラ死美人』です。(中略)このあたりの映像のテクニック、たっぷりとお楽しみ下さい。ごゆっくりとどうぞ*1


こんな映画ごゆっくり楽しんだ日には、大蔵貢氏に殺意が湧くに違いない。そういや大蔵貢さんというと『明治天皇と日露大戦争』とか『生首奉行と鬼大名』とかタイトルがストレート過ぎる人だった。タイトル見ただけでまずどんな要素が出てくるか分かる。『おっぱいバレー』だって大蔵さん的に解釈するなら、猟奇事件の匂いがするバレーだ*2。まぁ、ストレート過ぎるくらいならまだ可愛げがあるけど、『性本能と原爆戦(PANIC IN YEAR ZERO)』とかになると何が何やらわけワカメ。直訳ですらねぇ。
だいたい1970年代くらいの日本人の邦訳センスはぶっ飛んでる。パンターロンメル戦車とか言い出したあたりからぶっ飛んでるが、『屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の』とかになると、もはや別次元だ。エド・ウッドの映画かなんかにしか思えん。
別次元ってほどじゃないし何となく意味は分かるが、センスの問題として『空軍大戦略』は却下。何の映画かさっぱり分からん。空軍がなんかすごい戦略を練ってることがおぼろげに分かる感じ。でもさ、個々の空戦のエピソードが入り交じった映画だし、どこにも戦略を感じないんだよなぁ。多分『空軍大戦術』って考えたけど、語呂が悪かったんだろうなぁ。はなから『バトル・オブ・ブリテン』で良かっただろうに。



『空軍大戦略』ってタイトルが似合わないかっこいいOPシーン


バルジ大作戦(Battle of the Bulge)』はまぁ、ニアピンでよしとしよう。そのまんまだし。そのまんまだけど何故かかっこ良くなった例としては『ビスマルク号を撃沈せよ(Sink the Bismarck!)』と『死刑執行人もまた死す(Hangmen also die)』あたり。『遠過ぎた橋((A Bridge Too Far))』も直訳だな。『大脱走(The Great Escape)』もカタカナで『グレート・エスケープ』とかされるよりは、軽妙な雰囲気があって良い感じ。逆に『大侵攻(Play Dirty)』は何がでかいのか分からん。マイケル・ケインがでかかったから? 中隊くらいの人数で大侵攻は厳しいだろ。『パットン大戦車軍団(PATTON)』はちょっとごちゃごちゃし過ぎ。これは原題通り『パットン』で良かったと思うなぁ。
大体この頃の戦争映画は「大」か「鬼」が付くんだよな。『鬼潜水艦わるさわ大作戦』とか『大菩薩峠鬼戦術』とか『鬼池田大作戦』とか、それっぽいでしょ。


あ、水野晴郎と言えば『史上最大の作戦(The Longest Day)』だ。『一番長い一日』って訳も微妙だし、これは晴郎の勝ちかなぁ。

*1:この人そういや、自分のシベ鉄を「素晴らしい映画」って言い切ったよなぁ

*2:胸を切り取られた女性の変死体が見つかって、犯人が学校の体育館で切り取った胸を貼り合わせたバレーボールでバレーしてる話。ひぎゃああああああ超KOEEEEEE

ソ連視点で見る大祖国戦争-第二次世界大戦前後 その2

英仏を巻き込んでの集団安全保障構想が挫折したのが前回までのお話。ここまでで覚えておきたいのは次の2点。

  1. イギリスはソ連邦を快く思っておらず、むしろ敵視している節すらある*1
  2. 1930年代後半〜40年代前半のソ連邦は拡大膨張を意図していない*2

この2点は、後々大戦末期における大国間のパワーポリティクスを捉える上で結構なポイントになるので、とりあえず記憶の片隅にでも置いておこう。そこまで書き続けるかどうかは分かりませんが。


さて、英仏が当てにならない一方、ドイツは着々と体制を固めていきます。1939年初頭にはボヘミア占領、モラヴィア保護領化を宣言(チェコスロヴァキア解体)、リトアニアのメーメル併合ともの凄い勢いで拡張政策を進めます。馬鹿なのか天才なのかはともかく、一連の行動でヒトラーチェンバレンのような弱体な指導者でないことは明白になっていました。一連の行動を英仏が制止しない以上、当分ナチ政権がつぶれることもないだろう、とソ連邦は判断します。
「英仏はあてにならない」「ドイツは現状では固い」「英仏はドイツを制止しない(できない)」
これだけの条件が揃えば、答えは簡単。
ヒトラーと手を結んで、ドイツの対ソ宣戦までに戦略縦深を確保する」
ことが最善に決まってます。分かりやすく言うと、ドイツが侵略してくるタイミングをぎりぎりまで引き延ばし、その間に反撃できる体制を整えるということ。ソ独不可侵条約はなんだか一大事件のように紹介されがちですが、それはあくまで英仏視点。ソ連邦の視点に立てば、別に驚きでもなんでもない、至極当然な選択なんです*3
8月23日のソ独不可侵条約締結からわずか1週間後、ドイツは颯爽とポーランド侵攻を開始。条約に含まれていた秘密議定書によってソ連邦は東部ポーランドバルト三国、カレリア、ベッサラビアを併合します。ただの領土的野心で片付けるのは簡単ですが*4、併合した地域の位置関係を世界地図なんかで眺めてください。全部ソ連邦の国境に面しています。これらの併合が意味するところは、モスクワとレニングラードから国境を遠ざけておく、という対独戦を睨んだ布石です。
さ ら に、国内を固めるために政敵と動揺分子の肉体的抹殺を行ったのが「エジョフシチナ(エジョフ期の大粛清)」。粛清によって旧体制を完全に破壊し尽くすという大胆すぎる外科手術で急速な体制の構築を進めた訳です。



エジョフさん。アッー


これであとは時間をかけてソ連は一枚岩の強大な国家としてドイツに立ちふさがる
はずだったのですが、
また英仏が足を引っ張ります。ぶっちゃけフランス陸軍とイギリス大陸派遣軍が弱過ぎました。もっと長い間抵抗してくれれば、粛清で弱体化した軍の再建・強化も完了していたはずなのですが、ともかく驚くべき早さで敗走します。ダイナモ作戦とか奇跡の撤退なんて自画自賛してますが、あの程度のちゃちな装備しか持っていなかったドイツ軍に負けたことの方が奇跡です。
ともかく、予定していた時間が全く稼げず、もはやドイツの侵略は目前。でも今の状態のソ連邦から殴り込むわけにもいきません。ドイツ軍機の領空侵犯も、ゾルゲの報告もひたすら無視し続けるしかありません。そんなこと報告されたところで、どうしようもないんです。今欲しいのはひたすら時間。


不穏すぎる情勢に対してなんとか警戒態勢を整えた直後。1940年6月22日午前4時。ふっつりと糸が切れます。

今回はここまで

「集団安全保障構想の挫折→ソ独不可侵条約、ドイツの欧州侵略」までさっくりと語りました。
色々と要素をすっ飛ばして、分かりやすいところだけ時系列で入れてますが、個人的にはカチンの森事件や東・中欧に禍根を残すことになったソ連邦併合など詳しく話したいこともありますが、大きく流れを捉えると言うことで、時間があればいずれ補足で。

*1:チェンバレンはともかく、1939年から首相となったチャーチルは反共

*2:実際のところ、戦後〜冷戦期も別に領土的野心があったわけではないのだけれど

*3:ソ連邦は厄介な相手だと認識していたドイツ外相リッペントロープとソ連邦が誇るモロトフ外相が互いに冷静な分析を行ったことも、条約締結に幸いしたかもしれません

*4:自国を守るために他国を侵すのはどうなんだ? って倫理的なお話はこの際置いておきます。そういう話すると収拾つかなくなるので

ソ連視点で見る大祖国戦争-第二次世界大戦前後 その1

米露中日に囲まれて恐怖のあまり核兵器に手を出すというのは、微妙に今回のお話に似た感がある。まぁソ連邦よりはるかに計算が拙いけど。


そんなことはどうでもよくて、1938年頃のソ連邦の気持ちになってみたい。「おーしゅーじょーせーはふくざつかいき」とかぬかして辞職した首相もいたようですが、実は大戦前後の欧州情勢ってのはソ連視点で紐解くと非常に単純明快なのですよ。今回はソ連邦から見たお話。
1938年というとドイツがアンシュルスしたり日本が中国でブイブイ言わせたりと、アゲアゲ状態だった頃。ついでにポーランドチェコスロヴァキアをゆすってみたりと、何かと皆が熱かった時期だ。ざっと日独の動きに絞って見ても、

月日 あったこと
1月16日 近衛文麿色々面倒になって「国民政府を対手とせず」発言
3月13日 ナチス・ドイツオーストリアを併合(アンシュルス)。カンガルーがおらずがっかり
6月13日 NKVD幹部リュシコフが満洲に亡命。逃げる場所を間違えたな
9月29日 ミュンヘン会談。腰抜けどもめ!!
10月2日 ポーランドチェコスロバキアのテッシェン地方を占領。ちゃっかりさん
11月9日 ドイツで水晶の夜事件。名前だけはエロゲみたい
12月4日 日本軍、重慶爆撃開始。特にコメントはない


騒がしいことこの上ない。
何が言いたいかというと、ソ連邦から見ればもはやこれは非常事態。だって西も東も軍事力でガツガツした連中ばっかり。怖くないわけがない。「仲良くしようね」「うん」で済んだら人類の歴史はもっと可愛らしいものになったんだろうけど、そうは問屋が卸さなくて未入荷残念この上ない。



なぜ人は争うのだろうか、と思い悩む同志スターリン


この時期のソ連邦は内戦が一段落して、諸々の準備が整ったレベルであり、「お前らがやる気ならこっちもやったるけんのう」という状態ではない。従ってよく言われるような拡張政策が云々なんてこと言ってる場合でもなく、危険な軍国主義二国に挟まれていかに国を守り生き残るか、の一点に尽きる。特に東方に固執していたドイツが侵攻してくるのは明白。そこで立てられたのが、集団安全保障構想だ。英仏を巻き込んで*1未来の脅威を包囲して対抗しようというアイデアで、ソ連邦にとって一番現実的な防衛手段でもあった。なんで英仏かというと、この二つがドイツに近く、かつ海軍最強国家と陸軍最強国家(ということになっていた)だから。
この構想の実現に向けてソ連邦外相だったリトヴィノフが熱心に英仏を回ったわけだが、英仏ともにソ連の誘いには冷淡だった。むしろソ連・ドイツの衝突共倒れを狙っている節すらある。
ちょっと後の話になるけど、イギリス軍がダンケルクの崖から叩き落された時にチャーチルはこう言っている。
ヒトラーは英国に来て、負けるだろう。そしてソ連へ向かう」
前半はただの負け惜しみ。チャーチルの真意は後半だ。反共でありながらドイツと敵対するというジレンマを抱えていたチャーチルにしてみれば、あわよくばまあ共倒れになれば良いと思っていたはずだ。結局ミュンヘン会談ではヒトラーに甘い顔をしてみせるなど英仏はまったくあてにならず、構想自体が実現しないことが明白になった。



トミーガン片手に自ら赤狩りを行うブルドッグ


ここから、もはや手段を選ばない祖国防衛のための施策が始まるんだけど、とりあえず今日は集団安全保障構想の挫折まで。ソ独不可侵条約、ドイツの欧州侵略、日本の中国侵略、ハルハ川の衝突とソ日中立条約締結くらいまでは書けたら書く予定。

*1:アメリカはこの構想に含まれていない。孤立政策の国と思われてたから

なんとかしてよベセスダさん

ハイクでもぼやいていたのだけれど、本格的に悲しくなってきたのでダイアリーで嘆いてみる。
事の発端は50時間ほどプレイしていた「Fallout 3」がフリーズしたところから始まる。まぁこのゲームよくフリーズするので、再ロードしてプレイし直す、ということはよくやっていたのだが、が、今回は一味違った。再ロードしてもダメなのよ。
分かる人に向けて具体的に話すと、場所はリベットシティの壊れかけた船首。アンドロイドクエストをやっていて、ピンカートンに会ったところ。ここで話を聞いて、船首外に出たところで、フリーズする。
ロードは行われているので読み込みはしていると思うのだけれど、ロード終わってみると画面真っ暗。音のみが響き渡る。コントローラーからの入力も一切受け付けないので困った困った。
一旦ディスク出してみたり、装備全部捨ててみたり、しばらく真っ暗なまま待ってみたり、キャッシュ捨てたりしてもダメ。しかも自分を呪いたくなるのは、直前でセーブデータ整理したせいで、セーブデータが船首内しかないのよ。死ねと申すか。死ねと。
どうも同じような症状を聞かないし、これおそらく固有のバグか何かかなぁと思うのだけれど。
 
もういいや。
「Deamon's Souls」やります。

ガチリア再び

どうもガチリアです。
第二次大戦中のイタリアと言えば、やっぱ大戦後期の分裂ですね。ドゥーチェが失脚したあと、勝手に無条件降伏してしまい、キレたアディおじさんは連合軍に占領されていなかったローマ以北をイタリア社会共和国*1として、親独の傀儡国家にしてしまうわけです。サロ共和国とか言ったりもしますが、正式名称じゃないですよ。
ほんで、この国の元首として担がれたのが、またしてもドゥーチェ。そりゃまあ、ファシストの政権なんですから、ドゥーチェ以外にはありえないわけですが。監禁されてたドゥーチェを救出したのが、あのスコルツェニー。そうそう、UFOに乗ってた……って違いますよ*2
傀儡国家なので、農作物没収されたり、芸術品持って行かれたりとドイツに散々な目にあわされるRSIなんですが、かなり頑張ります。北の民衆にはファシスト党支持者が多くて、アナーキストやら王党派がほとんどいなかったんですね。なんというか、不純物を取り除いた混じりっけなしのファシストによる国家が誕生したわけです。謀らずも挙国一致体制が出来たというか。
で、国家なので当然軍隊などもあったのですが、この軍もかなり強かった*3。ドイツの装備の提供を受け、ドイツ軍から訓練を受けたRSI軍ですが、正直イタリア王国の時より、奮戦したエピソードも多いくらい。

バスクベレーのような大きめのベレーを後頭部にずらして被るのが、RSI的オサレポインツ。軍服のお洒落さもあって、個人的にはドイツよりかっこよさがあると思います。
奮戦むなしく連合軍の北進は止められず、結局RSIも解体されてしまいますが、一部のRSI軍兵士はドイツに逃亡し、最後の最後までドイツに付き合い、ドイツでの本土決戦に参加した奴までおりました。ファシストながら見上げた根性です。イタリアの情熱が、イデオロギーと組み合わさって、奇跡の化学反応が起きたんでしょうか。

イタリア・ファシズムの詳細なイデオロギーは分からないのですが、少なくともイタリア軍の精強さの大部分はのちのRSI軍、つまりファシストの兵士たちに支えられていたのではないでしょうか。


イタリアのイメージはバルボと言っていたのですが、資料集を見ているととても惹かれる写真がありました。RSI軍の若い兵士の写真です。情熱的でファッショな雰囲気。どことも知れない遠くを見つめる感じ。うーん。バルボよりも僕の思うイタリア像に近いです。正確に言うと北イタリア像ですが。ごめんバルボ。君はもういいや。

*1:Repubblica Sociale Italiana。以下RSI。

*2:分からない人はお母さんに聞くか、矢追純一でググってね!

*3:Wikipediaの「イタリア社会共和国」での軍編成の網羅っぷりが素晴らしい。一見の価値ありです。